「樋口了一IN平和授業」のライブ映像を見て [日記]
「樋口良一IN平和授業」のライブ映像を見て
4月に樋口さんの「手紙」という歌に出逢い、ブログにも書きました。
その樋口さんが、8月6日に大分市の高校の平和授業で、ポストマンライブを行ったそうです。
その映像を「おはようナイスキャッチ」で見て(8/17)、樋口さんのお話しに感動しました。
40歳を過ぎて、故郷の八代で、父親に言われた言葉が転機になって、本気で歌を歌っていく決心をされたお話し。
『「俺が死んだとしても、そんなに悲しむなよ」。って言われました。「人はこの世に生れてきて、少しずついろんな経験をして学んでいってね、最後にはもといた世界にもどっていく というのは、神様が作った自然の摂理だけん、それを悲しいはずはなかろうが 神様の自然の摂理は。だからお前も悲しまなくてもいい。」と言われました。』
この後、手紙が完成したそうです。
戦争中、お母さんが、防空壕から、空を眺めていると、B29が通り過ぎ、長崎の方向から、大きなきのこ雲が、立ち上ったお話しなど。
「人間の一番尊いところは、人の話を聞いて、痛みを想像できるところ」
「生きている間、本当に大事なことは、自分以外の他の人に何かしてあげる。その人がしてほしいと思っていることをしてあげる。それだけでいい。」
そんな言葉が、印象に残りました。
夏休みの暑い1日、学校に登校した高校生が、体育館で樋口さんの生の歌声に触れ、直接お話しを聞く機会を持てたことは、本当に有意義な時間だったと思います。
このビデオ、私も母と一緒に見てみようかな・・・
終戦ドラマスペシャル「帰国」の中で3分間「手紙」が流れたそうです私は見逃してしまいました。残念!
4月に樋口さんの「手紙」という歌に出逢い、ブログにも書きました。
その樋口さんが、8月6日に大分市の高校の平和授業で、ポストマンライブを行ったそうです。
その映像を「おはようナイスキャッチ」で見て(8/17)、樋口さんのお話しに感動しました。
40歳を過ぎて、故郷の八代で、父親に言われた言葉が転機になって、本気で歌を歌っていく決心をされたお話し。
『「俺が死んだとしても、そんなに悲しむなよ」。って言われました。「人はこの世に生れてきて、少しずついろんな経験をして学んでいってね、最後にはもといた世界にもどっていく というのは、神様が作った自然の摂理だけん、それを悲しいはずはなかろうが 神様の自然の摂理は。だからお前も悲しまなくてもいい。」と言われました。』
この後、手紙が完成したそうです。
戦争中、お母さんが、防空壕から、空を眺めていると、B29が通り過ぎ、長崎の方向から、大きなきのこ雲が、立ち上ったお話しなど。
「人間の一番尊いところは、人の話を聞いて、痛みを想像できるところ」
「生きている間、本当に大事なことは、自分以外の他の人に何かしてあげる。その人がしてほしいと思っていることをしてあげる。それだけでいい。」
そんな言葉が、印象に残りました。
夏休みの暑い1日、学校に登校した高校生が、体育館で樋口さんの生の歌声に触れ、直接お話しを聞く機会を持てたことは、本当に有意義な時間だったと思います。
このビデオ、私も母と一緒に見てみようかな・・・
終戦ドラマスペシャル「帰国」の中で3分間「手紙」が流れたそうです私は見逃してしまいました。残念!
さあ!夏祭りの季節、到来 [日記]
なつかしい! 中学校で、~トークライブ~ [日記]
すっかり変わってしまった、上野が丘中学校。
通っていたことろの校舎はなくなりましたが、卒業生で、先輩の森真一郎さんのトークライブへ行って、ひととき、昔を思い出しました。
『心 夢色に染めて』~私の歩いてきた道~
みなみこうせつの「かぐや姫」の初期メンバーだった森さんの講演と歌で、素敵なひと時を、主宰のPTAのみなさん、に感謝です。
中学生の時期を半熟卵にたとえて、お話しされ、
コミュニケーションの大切さ、興味を持つことが、頑張る原動力、親はそれを後押ししてあげてほしい。と語られました。
歌は、「卒業写真」から始まり、オリジナルの曲も含めて、数曲披露してくださり、
寺山修二さんの『振り返るな 後ろに夢はない』と
高村光太郎さんの『僕の前に 道はない 僕の後ろに 道は出来る』
という二つの言葉を、紹介され、PTAのみなさんのコーラスと一緒に「なごり雪」を合唱。
ステージの「絆」の文字と星のイラストは、森さんも学校を象徴しているのでは、・・とお話しされていました。
最後の質問や会長のあいさつなど、形式的ではなく、子どもと本音で向き合う姿が、微笑ましくて、ほんわかとしてとてもよい雰囲気の講演会でした。
素敵な講演会でした。
4年前に銀行を早期退職されて、オープンされた「一三夜」というライブハウス(夢を持ち続け、夢の実現に努力されてきたのですね。)、機会があったら、行ってみたいと思います。
通っていたことろの校舎はなくなりましたが、卒業生で、先輩の森真一郎さんのトークライブへ行って、ひととき、昔を思い出しました。
『心 夢色に染めて』~私の歩いてきた道~
みなみこうせつの「かぐや姫」の初期メンバーだった森さんの講演と歌で、素敵なひと時を、主宰のPTAのみなさん、に感謝です。
中学生の時期を半熟卵にたとえて、お話しされ、
コミュニケーションの大切さ、興味を持つことが、頑張る原動力、親はそれを後押ししてあげてほしい。と語られました。
歌は、「卒業写真」から始まり、オリジナルの曲も含めて、数曲披露してくださり、
寺山修二さんの『振り返るな 後ろに夢はない』と
高村光太郎さんの『僕の前に 道はない 僕の後ろに 道は出来る』
という二つの言葉を、紹介され、PTAのみなさんのコーラスと一緒に「なごり雪」を合唱。
ステージの「絆」の文字と星のイラストは、森さんも学校を象徴しているのでは、・・とお話しされていました。
最後の質問や会長のあいさつなど、形式的ではなく、子どもと本音で向き合う姿が、微笑ましくて、ほんわかとしてとてもよい雰囲気の講演会でした。
素敵な講演会でした。
4年前に銀行を早期退職されて、オープンされた「一三夜」というライブハウス(夢を持ち続け、夢の実現に努力されてきたのですね。)、機会があったら、行ってみたいと思います。
引越しの当たり年・・・? [日記]
2週間ちょっとの上京から戻って、1週間。
やっと、日常の生活のペースが戻ってきました。
3人の息子の引越しも無事に終わり、大分へ戻るため、6月2日、羽田へ。
お土産の「青山通りのプリン屋さん」のチョコレートケーキをJALUXブルースカイショップで、10%引きで購入。
甘すぎず、しっとりなめらかでおいしかった!
そして、「いい友」の金ごまいわしは、毎日のお弁当のおかずに重宝しています。
6人の家族が、それぞれの居場所に落ち着くことができました。
・3月中旬に単身赴任先の別府から、夫と娘が、大分へ。
・3月下旬に三鷹の社宅を引き払い、私は大分へ、長男と三男は三鷹市内の仮住まいへ。
・5月30日に長男は、大沢へ、三男は、久我山の独身寮へ引越し。
・6月1日に次男が、葛飾の独身寮から足立区の家族寮へ引越し。
今までも、転勤のたびに引越しはしてきましたが、今回は、大人になった子どもたちも、就職や結婚など人生の節目にあたったこともあり、この春は、大忙しでした。
みんなの引越しを、一通り手伝って、無事に帰りついて、ホッとしたところです。
帰ったら、生協に注文していた、球根が届いていたので、早速植えたけれど・・・。
ちゃんと咲いてくれるかしら?
やっと、日常の生活のペースが戻ってきました。
3人の息子の引越しも無事に終わり、大分へ戻るため、6月2日、羽田へ。
お土産の「青山通りのプリン屋さん」のチョコレートケーキをJALUXブルースカイショップで、10%引きで購入。
甘すぎず、しっとりなめらかでおいしかった!
そして、「いい友」の金ごまいわしは、毎日のお弁当のおかずに重宝しています。
6人の家族が、それぞれの居場所に落ち着くことができました。
・3月中旬に単身赴任先の別府から、夫と娘が、大分へ。
・3月下旬に三鷹の社宅を引き払い、私は大分へ、長男と三男は三鷹市内の仮住まいへ。
・5月30日に長男は、大沢へ、三男は、久我山の独身寮へ引越し。
・6月1日に次男が、葛飾の独身寮から足立区の家族寮へ引越し。
今までも、転勤のたびに引越しはしてきましたが、今回は、大人になった子どもたちも、就職や結婚など人生の節目にあたったこともあり、この春は、大忙しでした。
みんなの引越しを、一通り手伝って、無事に帰りついて、ホッとしたところです。
帰ったら、生協に注文していた、球根が届いていたので、早速植えたけれど・・・。
ちゃんと咲いてくれるかしら?
「手紙 ~親愛なる子どもたちへ」に出会って・・・ [日記]
新緑の岩田学園前の並木道
88歳になる姑が、1泊旅行の同級会に出かけたので、デイサービスに出かける94歳の舅を送りだすために、バスで私の住む上野から舅の住む岩田町へ・・・雨のため、30分ちょっとかかりました。
初めて、夫と娘と一緒に通勤通学バスに乗車!
おじいちゃんをデイサービスのお迎えの車に見送って、帰りは、大分川に沿って、散歩がてら歩いていたら、雨が激しく降って来て・・・
カヌー?の練習をしていた学生も・・・練習終わり?
運動のためかなり遠回りをして、45分かかって帰ってくると、「おはようナイスデイ」でシンガーソングライター樋口了一さんが歌う「手紙 ~親愛なる子どもたちへ」が日出町の青年の取り組みでイランの人々の心をとらえたエピソードが紹介されていた。
<手紙歌詞>
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れていても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話しを何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
30年ぶりの故郷での生活は、30年分、年齢を重ねた親たちとの生活でもあります。今でも元気でいてくれることに感謝です。
88歳になる姑が、1泊旅行の同級会に出かけたので、デイサービスに出かける94歳の舅を送りだすために、バスで私の住む上野から舅の住む岩田町へ・・・雨のため、30分ちょっとかかりました。
初めて、夫と娘と一緒に通勤通学バスに乗車!
おじいちゃんをデイサービスのお迎えの車に見送って、帰りは、大分川に沿って、散歩がてら歩いていたら、雨が激しく降って来て・・・
カヌー?の練習をしていた学生も・・・練習終わり?
運動のためかなり遠回りをして、45分かかって帰ってくると、「おはようナイスデイ」でシンガーソングライター樋口了一さんが歌う「手紙 ~親愛なる子どもたちへ」が日出町の青年の取り組みでイランの人々の心をとらえたエピソードが紹介されていた。
<手紙歌詞>
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れていても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話しを何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
30年ぶりの故郷での生活は、30年分、年齢を重ねた親たちとの生活でもあります。今でも元気でいてくれることに感謝です。
タグ:手紙
懐かしい故郷へ [日記]
成人式の記念品 [日記]
成人式 [日記]
平成生まれの子どもたちの成人式が、三鷹でも今日、無事に開催されました。
4人目にして初めてでしたが、成人式を見に行きました。
実行委員の作ってくれた、想い出コーナーなど、ほのぼのとした雰囲気です。
記念品は、実行委員会で考えたという、マイ箸セットです。(時代ですね)
お祝いに駆けつけてくれたピーポ君と記念撮影をしたり、
三鷹に登場したばかりの着ぐるみマスコットのポキもきてくれました。
私の成人式の時の着物を着た娘です。
小中学校の面影のある子もいれば、すっかり見違えてしまう子もいて、時間の経過をいまさらながらに感じます。多くの人に支えられて、みんなここまで大きくなったのですね。
成人おめでとう。しっかり歩んでいってくださいね。
4人目にして初めてでしたが、成人式を見に行きました。
実行委員の作ってくれた、想い出コーナーなど、ほのぼのとした雰囲気です。
記念品は、実行委員会で考えたという、マイ箸セットです。(時代ですね)
お祝いに駆けつけてくれたピーポ君と記念撮影をしたり、
三鷹に登場したばかりの着ぐるみマスコットのポキもきてくれました。
私の成人式の時の着物を着た娘です。
小中学校の面影のある子もいれば、すっかり見違えてしまう子もいて、時間の経過をいまさらながらに感じます。多くの人に支えられて、みんなここまで大きくなったのですね。
成人おめでとう。しっかり歩んでいってくださいね。
手づくり門松 [日記]
初めて作ったミニ門松
「三鷹いきいきプラス」で、企画したイベント「みに門松作りミニ交流会」で、製作しました。
2度目に作った門松は、玄関の前に飾る大きな門松です。
わらをきれいにそろえるところから始める、ダイナミックな作業でした。
「三鷹いきいきプラス」で、企画したイベント「みに門松作りミニ交流会」で、製作しました。
2度目に作った門松は、玄関の前に飾る大きな門松です。
わらをきれいにそろえるところから始める、ダイナミックな作業でした。